敬老の日とは・・
敬老を広辞苑で引くと老人をうやまうこと・・
と出てきます。
敬老の日を記念してここで是非ご紹介させていただきたい記事です。
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ある病院に、世をすねたおばあちゃんの患者がいました。
家族から疎まれていたせいか、頑固一徹で、看護師さんが話しかけても、
なかなか心を開きませんでした。
「どうせすぐにあの世に行ってしまうのだから」などと口にしていまし
た。
その病院の近所に鉄工所があったのですが、一人の看護師さんが、おば
あちゃんに次のような提案をしました。
「毎朝、病院の窓から、通勤の工員さんたちに手を振ってみてはどうで
すか」
どういう風の吹き回しか、おばあちゃんは翌朝、ベッドの上に身を起こ
し、言われるとおりにしてみました。
すると、何人かの工員さんが手を振って返してきました。
それが嬉しかったのか、おばあちゃんは、毎朝、出勤する工員さんたち
に手を振るのが日課になりました。
工員さんたちの中にも、病院の前を通るとき、決まって窓を見上げる人
が多くなりました。
おばあちゃんと工員さんの心が通い合いました。
おばあちゃんの表情には笑顔が戻ってくるようになり、看護師さんたち
とも打ち解けるようになりました。
病気はだんだん重くなりましたが、おばあちゃんは毎朝、身を起こし手
を振りました。
まるでそれが生きている証でもあるかのように。
しかし、とうとうおばあちゃんは亡くなってしまいました。
訃報を聞いた工員さんたちは、病院の近くに集まり、おばあちゃんが
毎日手を振ってくれた窓に向かって、黙祷をささげたそうです。
(参照「自分が好きですか」 林 覚乗 著、西日本新聞社 より)
このおばあちゃんは、人と心を通わせることで自分の存在
価値を実感できたんでしょう。
そして、笑顔が戻ってきたのだと思います。
マザー・テレサの次の言葉も紹介してありました。
「天然痘も癌も脳卒中も、決して怖い病気ではありません。本当に怖い
病気とは、あなたのような人間がこの世にいてもいなくてもいいのです
よ、と言われたときの孤独です。この病気ほど怖いものはないのです。
この病気を治す病院も薬もないのです。この病気は優しい心でしか癒す
ことができないのです」
これは決してお年寄りに限ることではないと思うのですが、
嘗ての時代を担ってきたはずのお年寄の中には、このように孤独に
陥っている方もあるのでしょうね。
現代を生きる我々もいつかは通る道であり
敬う精神や感謝する心を忘れてはならない日でもあるのではないでしょうか。
何気ない一言や、相手を思う気持ちが大切なのでしょう。
先ほどもあるクレーム処理(修理)に出かけてきました。
できればあってはいけないことなのですが、
お客様からのクレームほど本来感謝しなくてはならないものもないでしょう。
私たちに一生に一度かもしれない大切な家創りを任せていただいた
方たちです。天声ではないでしょうか。
心からあたらなくてはなりません。
そしてその大切なお金で私たちは生活させて頂いております。
社員一人ひとりや、その子供達もそれで毎日生活をさせて頂いております。
感謝することを忘れず、お客様のためにも継続できる一つの会社であれるよう
気づかせて頂いた日でもありました。
本日もそんなことを感じさせて頂ける方たちにお会いします。
少しでも近づいて行きたいと思います。
いつもありがとうございます。